アルバムの基本情報
タイトル (日本語) | アビイ・ロード |
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タイトル (英語) | Abbey Road |
発売日 | 【イギリス】1969年9月26日 【アメリカ】1969年10月1日 【日本】1969年10月21日 |
最高順位 | 【イギリス】1位(17週) 【アメリカ】1位(11週) 【日本】3位 |
CD
デジタル音源(CD)が初めて発売されたのは1987年。2009年には音質を改善したリマスター盤がリリースされています。
2019年にはアルバム発売50周年を記念したリミックス盤が複数バリエーションでリリースされました。
バリエーションは以下のとおりです。
- 1枚組 … 2019年版のリミックス処理
- 2枚組 … アウトテイク(楽曲完成前のレコーディング音源)16曲を追加収録
- 3枚組+Blu-ray … アウトテイク集に加え「ザ・ロング・ワン」を追加収録
「ザ・ロング・ワン」とは、アルバム後半に収録された複数曲によるメドレーの初期レコーディングの様子を収録したものです。
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アルバム収録曲
アナログ盤・A面
- カム・トゥゲザー Come Together
- サムシング Something
- マックスウェルズ・シルヴァー・ハンマー Maxwell's Silver Hammer
- オー!ダーリン Oh! Darling
- オクトパス・ガーデン Octopus's Garden
- アイ・ウォント・ユー I Want You (She's So Heavy)
アナログ盤・B面
- ヒア・カムズ・ザ・サン Here Comes The Sun
- ビコーズ Because
- ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー You Never Give Me Your Money
- サン・キング Sun King
- ミーン・ミスター・マスタード Mean Mr. Mustard
- ポリシーン・パン Polythene Pam
- シー・ケイム・イン・スルー・ザ・バスルーム・ウィンドー She Came In Through The Bathroom Window
- ゴールデン・スランバー Golden Slumbers
- キャリー・ザット・ウェイト Carry That Weight
- ジ・エンド The End
- ハー・マジェスティ Her Majesty
アルバムの概要
最後にレコードした「実質的に最後の」アルバム
アルバム『アビイ・ロード』は、イギリスで1969年9月26日に発売されました。
ビートルズが最後に発売したアルバムは『レット・イット・ビー』ですが、最後にレコーディングをしたのは『アビイ・ロード』です。
- 『レット・イット・ビー』のレコーディング&映画撮影:1969年1月2日〜1月31日
- 『アビイ・ロード』のレコーディング:1969年2月22日〜8月20日
- 『アビイ・ロード』発売:1969年9月26日
- 『レット・イット・ビー』収録の数曲を追加レコーディング:1970年1月3日、4月1日
- 『レット・イット・ビー』発売:1970年5月8日
上の時系列だけを見ると「アビイ・ロードよりもレット・イット・ビーのほうが後にレコーディングされているじゃないか」と思うかもしれません。
しかし、1970年1月3日のレコーディングでスタジオに来たメンバーはポール・ジョージ・リンゴの3人だけでした。ジョンは休暇を取得していたため不参加です。
また1970年4月1日のレコーディングは、新たに『レット・イット・ビー』のプロデューサーとなったフィル・スペクターの指示により一部の楽曲で録り直しが発生し、ドラムのパートを演奏するためリンゴだけが参加しました。他の3人は不参加です。
したがってビートルズの4人が揃ってレコーディングをした最後は、『アビイ・ロード』の1969年8月20日でした。
ジョージ・マーティンとジェフ・エメリックが復帰
『アビイ・ロード』のレコーディングでは、プロデューサーとしてジョージ・マーティンが復帰し、またジェフ・エメリックもチーフ・エンジニアとして復帰しています。
アルバム『レット・イット・ビー』では映画撮影が同時進行していたことも関係し、ジョージ・マーティンはプロデューサーから外され、代わりにグリン・ジョンズがプロデュースを担当しました。
さらにアルバムを完成させる段階ではフィル・スペクターがプロデュースを担当しています。
マーティンといったん距離を置いたビートルズでしたが、『アビイ・ロード』のレコーディングに際してポールがマーティンに電話し、再びプロデューサーとなってくれるよう依頼。
マーティンは条件付きで要請を受諾。『アビイ・ロード』はマーティンが全面的にプロデュースを担当しています。
またチーフ・エンジニアとしてビートルズの音作りを支え続けていたジェフ・エメリックは『ザ・ビートルズ(ホワイト・アルバム)』のレコーディング途中、メンバー間の確執などに嫌気が差してエンジニアを辞めていました。
その後ビートルズのメンバーたちに説得され、エメリックも『アビイ・ロード』でビートルズのレコーディングに復帰しました。
収録曲の内訳、レコーディング期間
ジョージの曲が初めてシングルチャート1位を獲得
『アビイ・ロード』の収録曲は全17曲。すべてオリジナル曲です。
収録曲の内訳は、ポールの作品が8曲、ジョンの作品が6曲、ジョージの作品が2曲、リンゴの作品が1曲。
『アビイ・ロード』に収録されたジョージの2曲「サムシング」「ヒア・カムズ・ザ・サン」はファンや評論家だけでなくメンバーからも絶賛され、ジョージの才能が開花したと高評価を受けました。
「サムシング」は「カム・トゥゲザー」と共に両A面としてシングルカットされ、チャートで1位を獲得。ジョージの曲がシングルA面になったのも、1位を獲得したのも初めてでした。
ジョージとジョンが入院
レコーディング開始は1969年2月22日。いつものEMIスタジオではなく、トライデント・スタジオでおこなわれています。この直前にはジョージが扁桃腺摘出のため、2月7日から15日まで入院していました。
『アビイ・ロード』収録曲と共に、シングル曲や「ゲット・バック・セッション」(後のアルバム『レット・イット・ビー』)のミキシング作業なども並行して進み、1969年6月は休暇のため中断。
7月からレコーディングが再開されますが、ジョンは休暇中にスコットランドで自動車事故を起こしてしまい入院。
ジョンはヨーコと共に7月9日からレコーディングに復帰し、他のメンバーは安堵。
しかし、まだ完治していないジョンとヨーコのためにスタジオにはベッドが用意され、これはとても不評だったようです。
ジョージ・マーティンが復帰のために出した条件
8月1日からレコーディングが再開される直前、ポールはジョージ・マーティンに電話をし、プロデューサーに戻ってくれるよう依頼しています。
この時の内容をマーティンが語っています。
『レット・イット・ビー』の悲惨な経験のあと、彼らがまた集結するとは思いもよらなかった。ポールが電話をよこしたときはひどく驚いたよ。
「もう1枚レコードを作りたいんだ。僕たちをプロデュースしてくれない? 本当の意味でプロデュースしてほしい」と言われ、
「いいとも。もし本当の意味でプロデュースさせてもらえるならね。また私にあれこれ指図して困らせようというんなら断る」と答えたんだ。
引用:「 ザ・ビートルズ レコーディング・セッションズ完全版 」
レコーディングは1969年8月20日に完了。「アイ・ウォント・ユー」の最終的なミキシング作業がおこなわれています。ビートルズの4人が顔を合わせたのはこの日が最後となりました。
スタッフによる編集作業は8月25日で完了しています。
アルバムジャケットについて
世界で最も有名になった横断歩道
『アビイ・ロード』のアルバムジャケット写真が撮影されたのは1969年8月8日。撮影したのはカメラマンのイアン・マクミラン。
撮影場所は、ロンドン・EMIスタジオ前にある横断歩道でした。
当初はエベレストで撮影しようという案もあったのですが「遠すぎる」ということで却下されています。
『アビイ・ロード』のジャケット写真は、その後に多くのアーティストたちがマネをしてパロディーにするなど大きな影響を与えました。
『アビイ・ロード』が有名になったため、EMIスタジオはその後「アビイ・ロード・スタジオ」と名前を変更。このあたりは現在も有名な観光名所となっています。
ビートルズの4人は横断歩道を3往復し、合計で6枚の写真が撮影されました。その中で4人の歩幅などが合っているものがジャケットに採用されました。
ポール死亡説の根拠のひとつとされた
アルバムジャケットに写っている順番は、右からジョン、リンゴ、ポール、ジョージ。
ジーンズ姿のジョージを除き、ジョン・ポール・リンゴの3人はスーツでビシッと決めています。
そんな中、ポールは靴を履かずに裸足で横断歩道を歩いています。ジョンは撮影当日にそのことを知らず、アルバムが発売された後にジャケットを見て、ポールが裸足だったことに気付いたのだそうです。
他にもジャケット写真でのポールは「左利きなのにタバコを右手で持っている」「目を閉じながら歩いている」などの点が指摘され、歌詞などにも謎解きがあるなどと深読みした人々により
「ポールは実は自動車事故で死亡している」
「ジャケット写真のポールは替え玉だ」
などという「ポール死亡説」がささやかれ始め、他のアルバムのジャケットや歌詞にも波及し、全世界的な騒動へと発展しました。
『アビイ・ロード』発売から1ヶ月が経過した1969年11月、ポールは雑誌「LIFE」の取材に応じ、ポール死亡説を全否定。これでいったんは収束した形となりましたが、現在でもポール死亡説を強く信じている人は存在します。
別サイトでポール死亡説に関する記事を公開した際、ポール死亡説を信じる人から罵倒されたことがありました。
ポールが本物だろうと偽物だろうと、『アビイ・ロード』以降も素晴らしい楽曲の数々を世に送り届けてくれたのですから、それで十分じゃないかと思うんですけどね。
チャートの動き・順位変動
アーティスト名/ アルバム名(英語) | 1969年 10月 | 11月 | 12月 | 1970年 1月 | 2月 | |||||||||||||||||
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The Beatles / Abbey Road | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 3 | 3 | 4 | 4 |
Blind Faith / Blind Faith | 2 | 4 | 5 | |||||||||||||||||||
The Rolling Stones / Let It Bleed | 1 | 2 | 2 | 4 | 3 | 4 | 4 | 7 | 8 | |||||||||||||
Led Zeppelin / Led Zeppelin II | 4 | 4 | 4 | 4 | 6 | 7 | 9 | 9 | 9 | 9 | 5 | 2 | 2 | 1 | 2 | 3 | 3 | |||||
Various / Motown Chartbusters Vol 3 | 3 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 3 | 3 | 4 | 4 | 3 | 2 | 3 | 3 | 2 | 1 | 2 | 2 | |||
Simon & Garfunkel / Bridge Over Troubled Water | 1 | 1 |
エリック・クラプトンのスーパーバンドから1位を奪う
『アビイ・ロード』がイギリスのアルバムチャートに初登場したのは、1969年10月第1週。初登場1位でのチャート入りでした。
それまでアルバムチャート1位だったのは、ブラインド・フェイスというバンドのデビューアルバム『 ブラインド・フェイス 』(日本語タイトルは『スーパー・ジャイアンツ』)。2週連続1位を獲得していました。
ブラインド・フェイスは、エリック・クラプトンがクリームの解散後にスティーヴ・ウィンウッドをはじめ実力派ミュージシャンたちと結成したスーパーバンドです。
しかし、1969年6月に結成されたブラインド・フェイスは同年10月に解散。活動期間は半年足らずという短い期間でした。
ストーンズのアルバムが1週だけ1位を奪取
『アビイ・ロード』はチャート初登場から11週連続で1位を獲得。
12月第3週に『アビイ・ロード』は2位に下がりました。代わってチャート1位を獲得したのは、ローリング・ストーンズの『 レット・イット・ブリード 』。
翌週の12月第4週に1位を奪い返した『アビイ・ロード』はその後6週連続で1位となり、合計で17週1位を獲得しました。
「明日に架ける橋」が大ヒット
1970年2月第1週に『アビイ・ロード』からチャート1位を奪取したのは、レッド・ツェッペリン通算2枚目のアルバム『 レッド・ツェッペリン Ⅱ 』でした。
さらに翌週の2月第2週にはモータウン・サウンドのオムニバス・アルバムが1位を獲得。
2月第3週に1位を獲得したのは、サイモン&ガーファンクルの『 明日に架ける橋 』。この週を含み13週連続1位となり、大ヒットを記録しました。