アルバムの基本情報
タイトル (日本語) | レット・イット・ビー |
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タイトル (英語) | Let It Be |
発売日 | 【イギリス】1970年5月8日 【アメリカ】1970年5月18日 【日本】1970年6月5日 |
最高順位 | 【イギリス】1位(3週) 【アメリカ】1位(4週) 【日本】2位 |
CD
デジタル音源(CD)が初めて発売されたのは1987年。2009年には音質を改善したリマスター盤がリリースされています。
2021年にはアルバム発売50周年を記念したリミックス盤が複数バリエーションでリリースされました。
もともとは2020年にリリース予定でしたが、新型コロナウイルスの世界的流行により1年延期されました。
バリエーションは以下のとおりです。
- 1枚組 … 2021年版のニュー・ステレオミックス
- 2枚組 … アウトテイク(楽曲完成前のレコーディング音源)14曲を追加収録
- 5枚組+Blu-ray … アウトテイク集に加え「アップル・セッションズ」「1969グリン・ジョンズ・ミックス」を追加収録
「1969グリン・ジョンズ・ミックス」については下の項で詳しく解説しています。
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アルバム収録曲
アナログ盤・A面
- トゥ・オブ・アス Two Of Us
- ディグ・ア・ポニー Dig A Pony
- アクロス・ザ・ユニバース Across The Universe
- アイ・ミー・マイン I Me Mine
- ディグ・イット Dig It
- レット・イット・ビー Let It Be
- マギー・メイ Maggie Mae
アナログ盤・B面
- アイヴ・ガッタ・フィーリング I've Got A Feeling
- ワン・アフター・909 One After 909
- ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード The Long And Winding Road
- フォー・ユー・ブルー For You Blue
- ゲット・バック Get Back
アルバムの概要
ドキュメンタリー映画のサウンドトラック
アルバム『レット・イット・ビー』は、イギリスで1970年5月8日に発売されました。
1970年に公開されたドキュメンタリー映画『レット・イット・ビー』のサウンドトラックでもあります。
最初はライブ盤として計画されていた
1968年9月、シングル「ヘイ・ジュード」のプロモーション・フィルム撮影がトゥイッケナム・スタジオで撮影されました。
「ヘイ・ジュード」の撮影ではスタジオに観客が呼び込まれ、曲のラストではビートルズの4人が観客と一緒に合唱しています。1968年8月にコンサート活動を終了して以来、約2年ぶりとなる有観客演奏でした。
この撮影に手応えを感じたビートルズは、次のアルバムをライブ盤にすること、そのライブの様子をテレビ特番として放送することを決定します。
トゥイッケナム・スタジオで新曲作りと撮影
撮影場所はトゥイッケナム・スタジオに決定し、1969年1月2日から新曲作りと撮影のためのセッションが開始されます。撮影監督はマイケル・リンゼイ=ホッグ。
トゥイッケナム・スタジオは音楽のレコーディング用ではなく、映画の撮影スタジオです。あくまでライブのためのリハーサル・セッションを撮影するために、撮影しやすいという理由で選ばれました。
セッション当初は雰囲気も良かったのですが、
- トゥイッケナム・スタジオの音響が悪い
- 雑談などの何気ない会話までもが撮影されている
- レコーディングと関係ない人たちがいつも周囲にいる
- テレビ特番で演奏する楽曲が少なく、曲作りもなかなか進まない
- テレビ特番予定日までの日数が短く、準備時間が少ない
上記の理由によりメンバーは次第にプレッシャーが増し、ストレスを溜め、ギスギスし始めます。
ジョージがビートルズ脱退を宣言
セッション7日目の1969年1月10日の昼、ジョージが「今、ビートルズを辞める」と宣言。そのままスタジオを去ってしまいました。
ジョージが脱退宣言をする様子は、2021年に公開されたドキュメンタリー『 ザ・ビートルズ: Get Back 』に映像として残っています。
映像ではジョージが突然脱退を告げたように編集されていますが、実際はジョンとジョージが口論となり、それまで不満を蓄積させていたジョージの忍耐がついにキレてしまい、脱退を決意したようです。
メンバーによる話し合いが何度かおこなわれ、ジョージは条件付きでビートルズへの復帰を承諾します。条件は以下のとおりでした。
- トゥイッケナム・スタジオでの撮影を中止
- テレビ特番を中止
- レコーディング・スタジオを別の場所にする
アップル・スタジオへの移動
音響の悪いトゥイッケナム・スタジオを撤収し、ビートルズはレコーディング場所をロンドンのサヴィル・ロウにあるアップル・コア本社の新しいスタジオに移動させます。
テレビ特番の企画は中止となったものの、今度はドキュメンタリー映画として映像を活かすため撮影は継続されました。
音響などの環境が良くなり、機嫌を直したメンバーたちは曲作りが進み、演奏も向上。さらには旧知のキーボード奏者であるビリー・プレストンがセッションに参加したことで楽曲の完成度も飛躍的にアップしました。
伝説の「ルーフトップ・コンサート」
観客の前で久しぶりにライブをするかについては議論が続き、最終的には「無観客で良いから屋外でライブをしよう」ということで決定。
場所はアップル・コア本社ビルの屋上に決定しました。これが有名な「ルーフトップ・コンサート」です。
屋上でのライブも録音され、いくつかの音源はアルバムに収録されました。
収録曲の内訳、レコーディング期間
久々にオリジナル曲以外を収録
『レット・イット・ビー』の収録曲は全12曲。
収録曲の内訳は、ポールの作品が4曲、ジョンの作品が4曲、ジョージの作品が2曲、ジョンとポールの共作が1曲、イギリスの伝承曲が1曲。
アルバムに収録された「マギー・メイ」は故郷のリヴァプールで昔から歌われている伝承曲(民謡のようなもの)。ジョンは強烈なリヴァプールなまりで歌っています。
レコーディング場所は3箇所
アルバム収録曲が録音されたスタジオは3箇所。
- トゥイッケナム・スタジオ
- アップル・スタジオ
- アップル・ビル屋上(ルーフトップ・コンサート)
1つの場所ですべて録音された曲もあれば、いくつかのテイクを組み合わせて作った曲もあります。
たとえば「ゲット・バック」は、「ジョンのおふざけセリフ(曲の冒頭)」は1月27日のテイクから、「曲最後のポールとジョンのセリフ」は1月30日のルーフトップ・コンサートから、それぞれ録音したものを楽曲本体のテイクに追加しています。
アドバイザー的な立場だったジョージ・マーティン
アルバム『レット・イット・ビー』には3人のプロデューサーが関わっています。
- ジョージ・マーティン
- グリン・ジョンズ
- フィル・スペクター
ジョージ・マーティンはビートルズのデビューから長年連れ添ってきたプロデューサーです。
しかしアルバム『レット・イット・ビー』は当初ライブ盤を想定しており、テレビ特番(後に映画)の撮影も兼ねていたため、ライブやリハーサルの音作りにプロデューサーのマーティンは不要だとビートルズはみなしていました。
ただ、『 ザ・ビートルズ: Get Back 』の映像にはマーティンが何度も登場します。曲作りに悩むビートルズのアドバイザー的な立場でレコーディングには参加していたようです。
アルバム『ゲット・バック』のプロデューサーはグリン・ジョンズ
アルバムと映画のタイトルは当初『レット・イット・ビー』ではなく『ゲット・バック』でした。
これはリハーサル・セッション中に生まれ、先行シングルとして1969年4月11日に発売された「ゲット・バック」から取っています。
アルバム『ゲット・バック』のプロデュースを担当したのは、前述したとおりジョージ・マーティンではなく、グリン・ジョンズでした。グリン・ジョンズも『 ザ・ビートルズ: Get Back 』の映像には頻繁に登場しています。
アルバム『ゲット・バック』のレコーディングは1969年1月2日から始まり、1月30日にルーフトップ・コンサート、さらにアコースティックな楽曲を翌日の1月31日に録音して完了。
この後ビートルズはアルバム『アビイ・ロード』に収録された楽曲のレコーディングにすぐ着手したため、『ゲット・バック』の制作作業はいったん止まります。
『アビイ・ロード』のプロデューサーは従来通り、ジョージ・マーティンが担当しました。
1969年3月にジョンとポールは、保留されていた『ゲット・バック』の編集作業をグリン・ジョンズに依頼(というか丸投げ)します。
グリン・ジョンズは1969年5月に『ゲット・バック』の編集作業を完了。
しかしビートルズは『アビイ・ロード』の制作に集中していたため、『ゲット・バック』は棚上げされてしまいます。
この時の編集バージョンは、2021年発売の『レット・イット・ビー』スーパー・デラックス盤、ディスク4枚目に「1969グリン・ジョンズ・ミックス」として収録され、50年以上経ってようやく日の目を見ることができました。
最終的な編集を担当したフィル・スペクター
アルバム『ゲット・バック』よりも後にレコーディングされた『アビイ・ロード』が1969年9月に発売されてからも、『ゲット・バック』は棚上げされたまま放置されていました。
しかし、レコーディング風景を撮影した映像集の映画公開が決まり、サウンドトラックとしてアルバムが必要になったことで、『ゲット・バック』のプロジェクトは再始動します。
1970年1月3日にポール、ジョージ、リンゴの3人がスタジオに集まり、ジョージの楽曲「アイ・ミー・マイン」を再レコーディング。1月5日はグリン・ジョンズが再編集してアルバム『ゲット・バック』は完成。
ジョンは1969年9月、メンバーにビートルズ脱退を告げていたため、1970年1月3日のレコーディングには不参加でした。
映画公開とアルバム発売に先行して、1970年3月6日にはシングルカットされた「レット・イット・ビー」が発売されます。このタイミングで映画とアルバムのタイトルも『ゲット・バック』から『レット・イット・ビー』に変更されました。
グリン・ジョンズの編集に納得していなかったジョンは、アルバム収録曲のプロデュースをやり直してもらうため、フィル・スペクターに依頼。
新たにプロデューサーとなったフィル・スペクターは、1970年3月23日に再編集を開始し、4月2日に完了。このバージョンが最終的に発売されたアルバム『レット・イット・ビー』となりました。
フィル・スペクターの改ざんにポールは大激怒した
ジョンはジョージと共に再プロデュースをフィル・スペクターに依頼しましたが、ポールはこのことを知りませんでした。
フィル・スペクターは「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれる手法でオーケストラ演奏やコーラスなど重厚なサウンドを楽曲につけ加えることで有名でした。
ジョンの作品「アクロス・ザ・ユニバース」や、ポールの作品「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」もこの手法でオーケストラ演奏を加え、当初の楽曲の雰囲気とはずいぶん異なる仕上がりとなっています。
ジョンやジョージはフィル・スペクターのリミックスを大絶賛し、自分たちのソロ作品でも彼にプロデュースを依頼していました。
しかしポールは、自分に無断でフィル・スペクターが再プロデュースしたことに加え、ポール自身の楽曲を勝手に改ざんされ、簡素なアレンジにしたかったのに壮大なオーケストラを加えられたことで大激怒しました。
ポールが本来ファンに提供したかった「簡素なバージョン」は『 ザ・ビートルズ: Get Back 』で聴くことができます。
ポールはビートルズ解散後に結成したバンド「ウイングス」のライブでもこの簡素バージョンで演奏していました。どれほどフィル・スペクターの改ざんに怒っていたのかが分かります。
アルバムジャケットについて
「ゲット・バック」セッション中の4人を撮影
『レット・イット・ビー』のアルバムジャケット写真は、「ゲット・バック」セッション中にイーサン・ラッセルが撮影した4人の写真を使用しています。デザインを担当したのはジョン・コッシュ。
当初『ゲット・バック』としてアルバムを制作していた頃はジャケットの構想も違っており、初心に還る意味もあって1962年に発売したデビューアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』と同じ構図の写真を使うはずでした。
実際に1969年5月13日、デビューアルバムと同じEMIビルの吹き抜けでメンバー4人が同じ位置、同じポーズで写真を撮影しています。撮影を担当したのはデビューアルバムと同じくアンガス・マクビーン。
この写真は『ゲット・バック』の棚上げと『レット・イット・ビー』への変更に伴いボツとされましたが、後にベスト盤の『ザ・ビートルズ 1967年〜1970年』でジャケット写真に採用されました。
チャートの動き・順位変動
アーティスト名/ アルバム名(英語) | 1970年 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | ||||||||||||||
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The Beatles / Let It Be | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 2 | 3 | 3 | 4 | 2 | 3 | 3 | 5 | 5 | ||||
Simon & Garfunkel / Bridge Over Troubled Water | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 2 |
Bob Dylan / Self Portrait | 1 | 3 | 4 | 4 | 4 | 7 | ||||||||||||
The Moody Blues / A Question Of Balance | 3 | 1 | 1 | |||||||||||||||
Paul McCartney / McCartney | 3 | 3 | 3 | 4 | 4 | 3 | 4 | 6 | 6 | 5 | 8 | 8 | ||||||
Elvis Presley / On Stage: February 1970 | 5 | 5 | 2 | 3 | 3 |
イギリスでは3週連続1位にとどまる
『レット・イット・ビー』がイギリスのアルバムチャートに初登場したのは、1970年5月第3週。初登場1位でのチャート入りでした。
その後、3週連続で1位を獲得した『レット・イット・ビー』でしたが、6月第2週には2位に陥落。そのまま1位に戻ることはありませんでした。
同年4月にはポールがビートルズを脱退すると報道され、さらに映画がネガティブで重苦しい内容だったこともあり、サウンドトラック盤としてのアルバムもそれほど爆発的なヒットとはなりませんでした。
なお、アメリカのアルバムチャートでは4週連続で1位を獲得しています。
サイモン&ガーファンクルが君臨
この時期チャート上位に君臨していたのは、サイモン&ガーファンクルの『 明日に架ける橋 』でした。
『明日に架ける橋』は1969年2月にビートルズの『アビイ・ロード』から1位を奪って以降、13週連続で1位を獲得し続けていました。
『レット・イット・ビー』に1位を奪われますが、1970年6月第3週には1位を奪い返し、その後もチャート上位が続いて、合計22週で1位を獲得する大ヒットアルバムとなりました。
ポールのソロデビューアルバムがライバルとなる
この時期にはポールがビートルズ解散前にソロとしてのデビューアルバム『マッカートニー』を発売していました。
ポールのソロアルバムはイギリスで最高3位にとどまりましたが、アメリカのアルバムチャートでは3週連続で1位を獲得しました。
ムーディー・ブルースの台頭
1970年8月第4週に『 明日に架ける橋 』から1位を奪ったのは、1965年にイギリスでデビューしたムーディー・ブルースの通算6枚目のアルバム『 クエスチョン・オブ・バランス 』でした。
ムーディー・ブルースはデビューした1965年から1966年まで、ギターとヴォーカルをデニー・レインが担当していました。
1966年にムーディー・ブルースを脱退したデニー・レインは、1970年にビートルズを解散した直後のポールと1971年に「ウイングス」を結成しています。
ディランとプレスリーもチャート上位をにぎわす
その他にチャート上位をにぎわせたアルバムは、まずボブ・ディランの『セルフ・ポートレイト』が、1970年7月第2週に1位を獲得しました(アメリカでは最高4位)。
また、エルヴィス・プレスリーのライブアルバムもイギリスで最高2位を記録しています(アメリカでは最高13位)。