アルバムの基本情報
タイトル (日本語) | サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド |
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タイトル (英語) | Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band |
発売日 | 【イギリス】1967年6月1日 【アメリカ】1967年6月2日 【日本】1967年7月5日 |
最高順位 | 【イギリス】1位(27週) 【アメリカ】1位(16週) |
CD
デジタル音源(CD)が初めて発売されたのは1987年。2009年には音質を改善した最初のリマスター盤がリリースされています。
2017年5月には「発売50周年記念デラックス」として新リミックス・バージョンのアルバムがリリースされました。
「発売50周年記念デラックス」は、ステレオ・ミキシングによる新リミックスの通常版(CD1枚)に加え、
- 2枚組 … アウトテイク(楽曲が完成する前の録音テイク)18曲、「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」「ペニー・レイン」の未発表テイクを追加収録
- 5枚組 … アウトテイク33曲、未発表の初期モノラル・ミックス、1992年制作の「ザ・メイキング・オブ・サージェント・ペパーズ」など映像集を追加収録
など、いくつかのバリエーションでリリースされています。
「ザ・メイキング・オブ・サージェント・ペパーズ」は以前にWOWOWで放送されました。とても見応えのあるドキュメンタリー映像ですよ。
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アルバム収録曲
アナログ盤・A面
- サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band
- ウィズ・ア・リトル・ヘルプ・フロム・マイ・フレンズ With A Little Help From My Friends
- ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイアモンズ Lucy In The Sky With Diamonds
- ゲッティング・ベター Getting Better
- フィクシング・ア・ホール Fixing A Hole
- シーズ・リーヴィング・ホーム She's Leaving Home
- ビーイング・フォー・ザ・ベネフィット・オブ・ミスター・カイト Being For The Benefit Of Mr. Kite!
アナログ盤・B面
- ウィズイン・ユー・ウィズアウト・ユー Within You Without You
- ホエン・アイム・シックスティ・フォー When I'm Sixty-Four
- ラヴリー・リタ Lovely Rita
- グッド・モーニング・グッド・モーニング Good Morning Good Morning
- サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(リプライズ) Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band (Reprise)
- ア・デイ・イン・ザ・ライフ A Day In The Life
アルバムの概要
休暇やソロ活動を経て再集結
アルバム『サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド』は、イギリスにおける通算8枚目の公式アルバムとして、1967年5月26日に発売されました。
それまでアメリカでは独自編集によるアルバムを発売していましたが、この『サージェント・ペパーズ』からイギリスと同じ収録曲のアルバムを発売することになりました。
1966年8月29日のライヴをもってコンサート活動を終了させたビートルズは、直後から3ヶ月の休暇に入りました。
メンバーそれぞれ、映画に出演したり、別の映画のサウンドトラックを作ったりしながら休暇を過ごしています。
この休暇中、ポールは「架空のバンドによるコンサートを表現する」という新作アルバムのコンセプトを思いつき、これが基本アイデアとなります。
ビートルズの最高傑作と称される
完成したアルバムは大ヒットし、「ビートルズの最高傑作」「ロックアルバムの金字塔」などと大絶賛されました。
現在に至るまで『サージェント・ペパーズ』は世界初のコンセプトアルバムだと表現されますが、メンバーたちはこの評価をやんわり否定しています。
ジョンは「自分が提供した曲は、どれもサージェント・ペパーと彼のバンドというアイデアとは何も関係がない」と発言。
またリンゴも「ペパー軍曹とビリー・シアーズのところまでで、全部の曲を関連づけることはできなかった」と語っています。
ビーチ・ボーイズ『ペット・サウンズ』から影響を受ける
前作『リボルバー』のリリース時期と同じ頃にチャート上位を争っていたビーチ・ボーイズの『ペット・サウンズ』に大きく影響を受けたポールは、楽曲のポップ思考を強め、『サージェント・ペパーズ』に数多くの名曲を詰め込みました。
『サージェント・ペパーズ』を初めて聴いたビーチ・ボーイズのブライアン・ウィルソンは、その完成度に大きな衝撃を受けてしまい、進行していたアルバム制作を長期にわたり中断する要因のひとつになったと言われています。
アルバム最後に収録された謎の音源の正体
アルバムの最後に収録された『ア・デイ・イン・ザ・ライフ』。アナログ盤では曲の最後にオマケが録音されていました。
犬や猫にしか聞こえない高周波音
まず曲の終わりから少し間を開け、15キロヘルツの高周波音が入っています。
犬や猫などは普通に聴き取り可能な音域なのですが、人間の耳では聞き取れない音です。
これはジョンの「犬を困らせてやろう」「曲が終わった後で急に犬が吠え始め、誰にもその理由が分からないとなれば面白い」という発案によるものだそうです。
アナログ盤の溝を利用したループのお遊び
さらに高周波音の後で人の笑い声が入り、4人がそれぞれ好き勝手に喋っているセリフをリールにまとめた音声が延々と繰り返されます。
ポールは「never could be any other way(これ以外はあり得ない)」と高音で叫び、ジョージは「タタタターン」と無邪気につぶやいています。
アナログレコードは全曲の再生が終わって盤の端までくると、最後の溝(ランアウト・グルーヴというそうです)を延々と回り続け、雑音を再生し続ける特徴がありました。
この最後の溝の部分に自分たちのオフザケ音を入れ、延々と再生させようという遊び心から収録されています。
この音声はイギリスで発売された最初のアナログ盤には収録されていましたが、アメリカ発売盤やイギリスでの再発盤には収録されていませんでした。
1980年に発売されたアルバム『レアリティーズ Vol.2』には「サージェント・ペッパー・インナー・グルーヴ」という曲名で、ひとつの曲扱いで収録されていました。
1987年にリリースされたCDには収録され、「ア・デイ・イン・ザ・ライフ」の終了後に約20秒ほど、上記のオフザケ音がループ再生されながらフェードアウトするようになっています。
収録曲の内訳、レコーディング期間
『サージェント・ペパーズ』の収録曲は全13曲。すべてオリジナル曲です。
収録曲の内訳は、ポールの作品が8曲、ジョンの作品が3曲、ジョンとポールの共作が1曲、ジョージの作品が1曲。
長期の休暇やソロ活動を終えたメンバーたちは久々に集結し、1966年11月24日から「ストロベリー・フィールズ・フォーエバー」のレコーディングに着手。
この曲は1967年2月17日にシングルとして発売され、『サージェント・ペパーズ』には収録されませんでした。
アルバム収録曲のレコーディング作業は翌年も続き、1967年4月21日にアルバム最後のオフザケ音「インナー・グルーヴ」を録音し、トータルで約700時間を費やしたアルバムのレコーディング作業は完了しました。
しかし、直後の4月25日からはアルバム『マジカル・ミステリー・ツアー』に収録された曲のレコーディングを開始しています。
アルバムジャケットについて
2年連続でグラミー賞を受賞!
『サージェント・ペパーズ』のアルバムジャケット撮影がおこなわれたのは1967年3月30日。場所はロンドン南西部チェルシーの「チェルシー・マノー・スタジオ」というところ。
アルバムジャケットをデザインしたのはイギリスのポップアーティストだったピーター・ブレイク。撮影をしたのは(いつもの)ロバート・フリーマンではなく、マイケル・クーパーという写真家でした。
このアルバムジャケットは1968年のグラミー賞で「最優秀レコーディング・パッケージ賞」を受賞しました。前作の『リボルバー』(1967年)に続き、2年連続で同部門をビートルズのアルバムが受賞しています。
若いビートルズが急にヒゲを生やし始めた理由
ジャケットの中央にはビートルズの4人がそれぞれ楽器を持って立っています。4人とも口元にはヒゲがあります。
コンサート活動を終えてメディアにもそれほど出てこなくなり、久しぶりに登場したかと思ったらメンバー全員がヒゲ面になっていたので、驚く人も多かったようです。
ヒゲ面となって急に老けたビートルズですが、リンゴとジョンはこのとき26歳。最年少のジョージは24歳でした。
メンバーがヒゲを生やし始めるキッカケになったのはポールで、1965年12月にモペッド(=ペダルのついたオートバイ)を運転中に転倒して前歯を折り、唇も切ってしまいました。
唇を縫い、腫れてしまった傷口を隠すためにポールはヒゲを生やし始めました。
それを見た他のメンバーたちはヒゲ面を妙に気に入ってしまい、みんなマネをしてヒゲを生やし始めたのだとか。
ビートルズのろう人形は日本でも公開された
ビートルズ本人たちのすぐ左側には、マダム・タッソー蝋(ろう)人形館が製作したビートルズ4人の「ろう人形」が立っています。
このろう人形はその後、マダム・タッソー蝋人形館の倉庫で40年近く眠っており、2005年に倉庫の中から発見されました。
その後オークションにかけられ、東京タワー蝋人形館を経営する会社が約1500万円で落札。翌年の2006年に東京タワー蝋人形館にて期間限定公開されています。
ジャケットに登場する全員の掲載許可をもらった
中央に立つビートルズ自身とろう人形以外は、ビートルズの面々が選んだ著名陣や知人などの写真パネルがズラリと並んでいます。
レコード会社であるEMIの関係者がすべての登場人物に関して、本人や肖像権所有者に連絡をして許可を取っています。
いろんな人がズラリと並んでいるのですが、有名どころだと、
- スチュワート・サトクリフ(ビートルズの元メンバー)
- マリリン・モンロー(映画俳優)
- ボブ・ディラン(アメリカ人シンガー)
などがいます。
足下にはメンバーの私物がいろいろ置かれており、たとえばジョンが日本ツアー中に購入した福助人形や(ジャケット写真、左の◯)、同じくポールが日本で購入したソニー製の9インチテレビ(右の◯)などがあります。
ジャケットに登場しなかった人もいる
ビートルズのメンバー、特にジョンがチョイスした著名人で、最終的にはボツとなりアルバムに掲載されなかった人もいます。
上の写真はアルバムジャケット撮影中のスタジオの様子。
この写真はCDのブックレットに掲載されています。
上の写真では写っている(つまり当初は採用されかけていた)けれど、実際のアルバムジャケットには登場しなかった人物をピックアップしてみます。
- アドルフ・ヒトラー
- マハトマ・ガンディー
- レオ・ゴーシー
ヒトラーはさすがにマズいと思ったんでしょうかね、撮影前の段階で写真パネルが右端によけられています。
ガンディー(ガンジー)は撮影前の時点で前から2列目のいちばん右(金色ドレスの女性の後ろ)に写真があります。しかし完成したアルバムジャケットでは黒く塗りつぶされています。なぜボツになったのかは不明。
最後列・右から4番目(ボブ・ディランの3つ横)にはレオ・ゴーシーという俳優の写真パネルがあります。
この人は撮影許可を得るため連絡をしたところ出演料を要求してきたため、ボツになりました。完成したアルバムジャケットでは青色で塗りつぶされています。
チャートの動き・順位変動
アーティスト名/ アルバム名(英語) | 1967年 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | ||||||||||||||||||||
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The Beatles / Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band | 8 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 2 | 1 |
Original Soundtrack / Sound Of Music | 1 | 3 | 2 | 2 | 2 | 2 | 3 | 3 | 3 | 3 | 2 | 3 | 3 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 2 | 1 | 2 |
The Monkees / More Of The Monkees | 2 | 4 | 4 | 4 | 4 | 4 | 4 | 8 | 8 | 8 | 7 | |||||||||||||||
The Monkees / Headquarters | 2 | 2 | 2 | 2 | 3 | 2 | 2 | 3 | 3 | 3 | 7 | 8 | ||||||||||||||
Jimi Hendrix Experience / Are You Experienced? | 2 | 3 | 3 | 2 | 3 | 4 | 5 | 5 | 4 | 5 | 6 | 5 | 5 | 5 | 9 | 5 | 6 | 9 |
合計27週の1位を獲得
『サージェント・ペパーズ』は、1967年6月第1週に8位でイギリスのアルバムチャートに初登場。翌週には1位となり、そこから23週連続で1位を獲得しました。
超ロングヒットとなり、ビートルズの多くのアルバムにとって強敵だった『サウンド・オブ・ミュージック』のサウンドトラック盤は『サージェント・ペパーズ』に1位を奪われた後も猛追。
そして11月第3週には『サウンド・オブ・ミュージック』が再びチャート1位を奪っています。とにかく強い。
しかし翌週には『サージェント・ペパーズ』が1位を奪還し、その後は1968年2月までに4回の1位を獲得。通算で27週の1位に輝きました。
アメリカ版ビートルズと称されたザ・モンキーズ
この時期にチャート上位をにぎわしていたのは、ビートルズをモデルとしてオーディションにより選ばれ、1966年8月にデビューしたアメリカの4人組、ザ・モンキーズ。
2作目のアルバム『 モア・オブ・ザ・モンキーズ 』(発売当初の邦題は『アイム・ア・ビリーバー』)は、アメリカとイギリスの両国でチャート1位を獲得しました。
さらにモンキーズは3作目のアルバム『 ヘッドクォーターズ 』もイギリスで最高2位を獲得しました(アメリカでは1位を獲得)。
ポールも絶賛したジミ・ヘンドリックスの登場
同じ時期には、「史上最高のロックギタリスト」と称されるアメリカ人シンガー、ジミ・ヘンドリックスがイギリスで1966年に結成したバンド、ジミ・ヘンドリックス・エクスペリエンスのデビューアルバム「 アー・ユー・エクスペリエンスト? 」も最高2位を獲得しました。
アルバム『サージェント・ペパーズ』が発売された直後の1967年6月4日、ジミは自身のライヴでビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」を見事に演奏してみせました。
この演奏を会場で聴いていたポールは感動し、世話役を務めていた「モンタレー・ポップ・フェスティバル」というアメリカでの野外フェスにジミを推薦。
これを受けて野外フェスに出演したジミは圧巻のパフォーマンスを披露。イギリスで先行して売れていたジミは、本国アメリカでも大ブームを巻き起こしました。